2006年01月13日 (Fri)  リクのために・・・
今日からリクの日記を書くことにした。そして、リクが元気になったとき、もしくは
虹の橋を渡った時に公開しようと思う。なぜリクの日記を書こうと思ったか。
それは今日の病院行きがきっかけになった。

昨日出かけるときに踏ん張ったままの格好でいたリクを確認した。
ウンチだろうと思っていた。帰ってきたときには既にみんなと寝ていたので
気にも留めなかった。今日、外に行ってみると横たわってるリクが居た。
呼んでも起きない。胸騒ぎがした。カイの時と同じ状態だった。
抱きかかえて家に入れ、ストーブの火を大きめにして冷えた体を温めながら
がくさんにメールで連絡した。ぐったりしてる。覇気が無い。一昨日は
元気にしてたのに。寒さがこたえた?わからない。3時30分にがくさんが帰宅。
病院に行く準備をする。その間に水と少しのご飯を食べる。食欲も無い。
車に乗せるとき、がくさんがお尻の異変に気づく。お尻を見ると肛門が
凄い状態になってた。真っ赤に腫れあがり、血が出ていたのだ。
始めてみた光景だった。リクを抱きがくさんが運転をして病院に向かう。
その間も元気なくうなだれた感じだ。病院について体重測定。
15.5kg。ベストだ。早速先生に見せる。先生はこれはひどいなと言って
患部の周りを押してみた。カチカチに硬い。膿ではない。腫瘍?恐る恐る
聞いてみた。広範囲に腫れがあり、骨盤のほうまで腫れ上がってて
硬いということは、おそらく。と。すぐに結論は出せないが、ガンの可能性も
あるという。とりあえず、この状態では何も出来ないし悪性じゃなくて
良性の病気もあるから、とりあえず痛み止めの注射、消炎剤の注射を
打ってもらい、薬を出してもらうことに。場所が場所だけに手術も難しいいという。
先生が席をはずした後私は泣いた。なんでもっと早く気づいてやれなかったんだろう。
毎日、お尻のチェックさえしてれば。悔やんでも悔やみきれない。
先生は、ここまでならないと、誰も気がつかないよと言ってくれた・・・

とりあえず、薬で腫れが引いてくれることを祈るししかない。同時に
最悪のことも考えなくてはならない。

次の診察は20日。どうか腫れが引いて硬いところが柔らかくなっていますように・・・・
2006年01月13日 (Fri)  帰宅後
最初はぐったりしていたリク。病院に行く前に食べたご飯と水を吐く。
夜になって注射が効いてきたのか、お父さんと外にオシッコしに行ったとき
少し歩くようになる。オシッコも腫瘍に圧迫されてるので出が悪いがちゃんとできた。
ウンチもがんばってした。した後はやっぱり出血。戻ってから殺菌してる
濡れテッシュで拭く。そのあとはバリケンで寝た。リク用にベッドを買ってきたのに
横にはけられた(苦笑)その後も食欲は出ないが、寝ながらでも顔を起こせるようになった。

今イビキをかいて寝てる。ちょっと安心した。明日はご飯を食べてくれるだろうか?
2006年01月14日 (Sat)  頑張れ!
朝はがくさんと2時間かけておトイレ。膀胱も圧迫されてるのでシッコの出が悪い。
ウンチはなんとか出た。なかなか良いウンチだった。がくさんが屋根の雪下ろしを
している間に、リクは今まで自分のいた場所に自力で移動して寝てたらしい。
11時前に犬ぞりの練習のため、リクはバリでお留守番。15時頃家に帰ってきて
リクを外に出す。踏ん張るけど出ない。の繰り返し。昨日はご飯も食べてないから
たぶん、出ないだろう。30分くらいそのままにしてバリの中を直しに行ったら
吐いてた。何も食べてないから胃液だけなんだけど、心なしかドロッとしてるような。
肛門を見ると、昨日よりも赤みが引いていたが、やっぱり膿んでるようなかんじで
血も出ている。踏ん張るとどうしても肛門に負担がかかるから、しょうがないんだけど
痛々しくて・・・・このまま赤みもひいて腫瘍も小さくなって良くなっていって欲しい。
外から戻る時、リクは自力で家に入ってきた。呼ぶとおぼつか無い足元だけど
ちゃんと歩いて来てくれた。嬉しかった(涙)

食欲はやっぱりなく、むりやり食べさせるものの、吐き出す。夜に又トライしてみよう。
食欲がないと体力が付かないから、注射器使って流動食にしようと思う。
なんとか食べて!!!
2006年01月14日 (Sat)  食欲なし
夕方、薬を無理やり飲ませた。ご飯は食べない。
夜になってから、缶詰をミキサーでドロドロにしてから注射器を使って
無理やり飲ませた。でも、少し口から出してたけどなんとか飲ませれた。
19時から22時の間に嘔吐。何も食べてないので胃液だけ。どうやったら
食べてくれるだろうか?明日からおかゆと野菜のすりつぶしたものを
あたえてみようかと思ってる。バリの中では寝てるか、少し顔を起こして
ハァハァいってるかだ。寝てるときはイビキをかいてるときもある。ウンチシッコは無し。
17日から2泊3日でがくさんの出張がある。私一人で出来るだろうか?不安だ・・・・

缶詰をすりつぶしたものを35ml口にする。夜になって2回嘔吐。
2006年01月16日 (Mon)  ごめんね
今日の午前中、リクは虹の橋を渡りました。私が起きたのが10時。
すでに硬直していました。がくさんが仕事に行ったのが8時。その間の出来事でした。
私たちに3日間しか看病をさせてくれず、見取ることも出来なかった。それはリクの
優しさだったのでしょうか?明日、がくさんは2泊3日の出張で家には居ない。
お父さんが居るときに・・・と思ってたのでしょうか?これから犬ぞり大会で忙しくなるから・・・っと
思ったのでしょうか?お母さんは無理やり薬を飲ますから、寝てるうちに・・と
思ったのでしょうか?私たちはそれでもリクに生きていて欲しかった。
だから犬ぞりは休むことを決めていました。冷たく硬く硬直したからだを撫でながら
昨日のことを思い出しました。夜、痛みで泣いてるリクの頭を撫でながら
私は、もう頑張らなくても良いよと言ってしまったんです。リクは私の言うとおりに
してしまたのかとおもうと、なんで頑張れと言わなかったのかと自分に腹が立ちました。
体を撫でながら、がんばったねとそれだけしか言えなかった。
がくさんが早退して帰ってきたとき、一緒に体をブラッシングしました。
右側を下にしたまま硬直してたので、2人で反対を向かせた時、唖然としました。
右側は穏やかな顔でまるで寝てるような感じだったのに、左側は下に敷いていた
ハーフ毛布を噛み、苦痛にゆがんだ顔をしていたのです。痛かったねぇと、涙が更にあふれました。
そして、あしたからがくさんが居なくなるので、4時に火葬場へ行きました。
本当は1日一緒に痛かったのですが、リクはお父さんに見送られたいだろうと
いうことで、今日にしました。お父さん大好きだったから。それに、がくさんは
カイの時には出張で立ち会えなかったので、どうしても立ち合せてやりたかった。
火葬場で最後にカイが迎えに来るから道に迷わないでね・・・と
声をかけて送り出しました。点火されたとき声を上げて泣きました。
リクの体が消えていくと思うと気が狂いそうでした。1時間30分かけて
リクはゆっくり雪の降る空へ駆け上がっていきました。小さくなったリクの体。
その体の下半身部分には、憎き腫瘍が広範囲で真っ黒になってありました。
こいつのせいで・・・悔しかった。こいつのせいでリクは・・・

係りの人が、下半身がなかなか焼けなかったんですよ・・・と。下あごは
元の場所からだいぶ離れた場所にありました。チャームポイントのシッポは
小さな小さな骨になりました。私はリクにもっと何かしてやれたのではと
後悔しか出てきません。苦しみながら逝ってしまったリク。カイと無事に
会うことは出来ただろうか?そして、痛みもなく走り回ってるだろうか?
もう、脱走しても怒られないよ。
2006年01月17日 (Tue)  腹が立つ
リクが死んで1日たった。悲しいのに淋しいのに、元気な自分が居る。
外に行くとリクが居た場所見て涙を流し、家の中ではリクが居たバリを
覗いて胸が痛む。なのに、今日もいつもと同じように叫んだり遊んでる
自分が居る。昨日の今日なのに・・・・そんな自分に腹が立つ。カイの時も
そうであったように、翌日からは普段の生活をしてる。私は自分が非常で
冷たい人間ではないかと思ってしまう。
2006年01月23日 (Mon)  1週間
リクが虹の橋を渡って1週間がたちました。リクが居た時は踏み固められてた場所も
今はもう雪が積もっています。春になるとBlueの横にはリクの犬小屋が出てくるでしょう。
それを見てはリクを探す日々がまた繰り返されるのでしょうか?リクはいまだに夢には
出てきてくれません。カイと遊ぶのが忙しいのかな?カイと一緒に会いに来てくれるといいんだけどね。
2006年02月08日 (Wed)  あれから・・・
冷たくなった体に触れたあの日。泣き叫ぶ私の異変に気がつき何かを察して
寄り添ってくれた犬たち。大好きだったリクの側に、絶対近寄らなかった娘の刹那。
外ではリクの奥さんである小春とリクの血を分けた子供たちが、最後の見送りをした。
そして本当の最後の時私はカイがまってるから道に迷わないでね。と送り出した。
それからもうすぐ1ヶ月。なんだかあっという間に過ぎたような気がします。

悲しみにくれるまもなく、いつもの騒がしい日常。週末はトレーニングの日々。
泣いて暮らすよりも、きっとこの方がいいのかもしれない。リクもきっとわかってると思う。
泣き虫なお母さんだから、この方がいいよって。でもね、夜のほんの少しの時間でいいんだ。
リクの事思って、お母さん泣いてもいいよね?